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社畜と作曲と読書とその他

社畜兼作曲家です。読んだ本のことなどについて、拙い言葉で書いていく所存です。

「夜と霧」 ー そして下請けSEとしての生活

初投稿はこの本。最近読み終えたので感想を。

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アウシュヴィッツから生きて還った人物の体験記。

 

なのだけれども、この本が体験記以上の価値を持っているように感じるのは、やはり著者が精神科医であるからだろう。

 

「あの場所」にいた人間の身体に、そして心に、いったい何が起きていたのか、医学的見地から分析し、記述された文章だからこそ、読んで考えて、今の時代を生きるものとして受け止めなければならない、重みのある思想になるのだろうと思う。

 

身体に起きる変化、そこで行われた残虐な行為の数々など、描写は数々あるけれども、私にとって響いた箇所は、やはり心理学的分析の章だった。

 

こういったことを吐露するのは、恥ずかしいことなのかもしれないが、システムエンジニアとしての業務は(それも、今の私の下請け派遣正社員のような身分であると)、非常に退屈で、苦痛だ。

 

何が苦痛かというと、決定権が無い割には、時間が奪われているという感触があるからだ。

 

大げさな言い方をすると、自分の未来や現在の選択権が自分にない状態、上手に従うことが必要とされる状態が苦痛なのだ。

 

幸い最近では、少しだけ決定権や裁量を得ることが出来ているけれど、それでも、このまま時間を過ごすのは、苦痛である以上に危険性さえ感じる。

 

そして、これまた大げさだし、ヴィクトール・フランクルには非常に失礼かも知れないが、彼のアウシュヴィッツ観は、似通ったところがあると思った。

 

何が似ているか。自分の未来や現在に対し、自分の決定権が少ないというところだ。

 

しかも年齢を重ねるごとに、決定権を奪い返すチャンスはどんどんと狭まっていく。それが怖くてたまらない。

 

属人的な仕事を自分の裁量でこなすことが理想なのだけれど、現在の私には程遠い。それはかなりの部分、自分のせいであって、非常に悔やまれるところなのだが。

 

自分のせいでその状態になったのか、外部からの暴力的介入でそうなったのか、違いはあるけれど、強制収容所という場所に満ちているであろう閉塞感は、なんとなく想像がついたし、「夜と霧」前半の描写にはかなり共感を覚えたものだった。職場には、暴力がないだけで、閉ざされている点では同じだ、と。

 

しかし、そんな愚痴を書くだけなら、わざわざブログを始めようとは思わない。「夜と霧」について書きたいと思ったのは、ドストエフスキーが言ったとされる言葉の考察があったからだ。

 

「私は私の苦悩にふさわしくなくなるということだけを恐れた」

 

フランクルは、ここでいう『「私の苦悩にふさわし」い』状態のことを、「苦悩に立ち向かい、人間らしい良心を発揮すること」だと読み解いているように思う。

 

『「私の苦悩にふさわし」い』人というのは、強制収容所という環境にあって、人にパンを分け与える人のこと。強制収容所という暴力に満ちた場において、その強制に屈せず、人間的であろうとした人のこと。

 

未来に対する希望や可能性を、破壊しつくす場所にあって、それでも人間的であろうとした人たちがいて、彼らは彼らの「苦悩にふわさし」かった、という。

 

衝撃だった。つまり、私は、職場において未来や可能性を狭められてなお、何らかの形でその苦悩に応答しなければならないのだ、と思った。

 

今、苦悩していることについて、逃げずに、自分なりに考え、応答することが「人間らしさ」であるとするならば、

 

今の職場のような、閉塞的な環境に満ちた苦痛に、埋没してはならない。順応し、慣れてしまってはならない。

 

そうでなければ、今度は人間らしさすらも失ってしまうのだから。

 人間らしさすら失ったモノには、未来も可能性も振り向いてはくれないような気がする。

 

こんな場所で、もう30歳を控えた身で、色々なものが準備不足の状態であっても、できることはあるし、やるべきことがある。

 

戦争体験記として読んだ感想や、全体主義思想への更なる恐怖感など、色々感じたことは多いが、

 

そうした気づきを与えてくれた本書(の特定部分)は、これまた大げさな言い方になるが、私にとっては福音だった。

 

こんな生活でも、「それでも人生にイエスと言」いたくて、続きで「それでも人生にイエスと言う」を読み始めた。

 

強制収容されておらず、今戦時下ではないこの時期だからこそ、できることを行い、真面目に問いかけに応答しなくてはならないし、応答したい。それによって、やはり、自分の人生を外部委託しないで済む、そんな人生を目指したいと、改めて思った。

 

 

 

残念ながら、この言葉が本当にドストエフスキーの言葉なのか、本当だとすればどの著作のものなのか、私は知りません。もしご存じの方がこれを読まれていたら、教えていただけると幸いです。